心淋し川/西條奈加
〜ひとこと〜
「心淋し川は人の心の淀みを表したような川であった」
〜はじめに〜
直木賞を受賞されたこの作品。
今では書店の一番目立つところに置かれているのではないだろうか?実際に私も直木賞というワードと是非これを!というお店側のアピールにつられ手に取った。
そこで裏表紙側の帯にこんな言葉が書かれていた。
「芥箱(ごみばこ)みてえな町ですがね生き直すには、
悪くねえ土地でさ」
どんな物語が見られるのか楽しみで迷わず購入した。
単行本
kindle
〜作品の概要〜
○著者:西條奈加
○出版社:集英社
○発売日:2020年9月10日
○ページ数:242ページ
「心淋し川」と書いて「うらさびしがわ」と読むこの作品名。文字から何か哀愁を感じられる(特に淋しという部分に引っ張られているのだと思う)。この川は名前の美しさとは相反し、ドブ川でとても汚く臭いがきつい川である。
そんな心淋し川の川沿いの人たちの物語である。
〜大まかな概要〜
心町(うらまち)という場所に流れる心淋し川。この作品には目次が第6章まであるのだが、1章ごとに主人公が入れ替わり、6人の様々な物語が綴られている。一つ一つの物語に壮絶な過去や、この心町に住んでいる理由があり、そして皆周囲は知らない自分だけの想いを溜め込んでいる。そんな事が主として綴られている作品である。
〜目次〜
- 心淋し川
- 閨仏
- はじめましょ
- 冬虫夏草
- 明けぬ里
- 灰の男
概要にて記載した通り、ひとつひとつの目次にて主人公が変化する。それぞれの主人公にはそれぞれの悩みや問題があり、心町に住んでいる。その悩みや問題も一長一短に解決するものではないというのがまたもどかしい事だ。
しかし、だからこそ印象に残る主人公や登場人物が多かったように感じた。
〜こんな人におすすめ!〜
- 過去に心が折れるような失敗をした人
- 何か吐き出したい悩みがある人
皆が過去の苦しみなどにより、マイナスな気持ちから物語が始まる事が多いように感じた。しかし、物語が進むにつれ目に見えて主人公たちの気持ちが晴れたり、前を向いて歩くといったポジティブな感情が現れていった。
そしてなにより主人公皆がスッキリしたような印象に後半は、なっている。皆うまくいっている訳ではないが、意識がマイナスからプラスの方向に向き始めているのだ。
だからこそ是非過去に心が折れた経験を今でも引っ張ってしまっている人や、現在何か吐き出したい悩みを持っている人はこの作品を見てほしい。
あなたの何かヒントや勇気づけてくれるきっかけとなるかもしれない。
〜感想〜
全体的な感想
全て読み終えた感想として、作品名とその意味にこの作品の全てが詰まっているな感じた。この作品は第1章のタイトルが「心淋し川」と作品名が来ているのである。この最初の章に心淋し川についてどのような川なのかという説明と、それに対して人の心が比喩されていた。この部分があったからこそとても読みやすかった。
この作品、章ごとに主人公が違う為、それぞれに考えさせられる事柄が違った。
この作品のここがすごい!
時代背景とあった古風な言葉で作品が表現されている
この作品を読み始めて思った事があった。文章や名前・名称など多くの言葉が江戸時代を表現していた。帯の情報で時代背景が江戸時代だということは知っていたため、そのような文章をどう書くのだろうか?と疑問に思っていたのだが、見事に表現されていた。
これは私がこのような作品を読んでこなかったため、余計に感じたことだろう。今現代の人がこのような文章を書けることに驚きを隠せなかった。
調べてみると”西條奈加さん”という作者ははずっと時代小説を書いてきたようだ。相当の勉強を積んだのだろう。古風な言葉というのもまた、美しい響きがあるものだ。
その反面漢字が読めなかったり、何を伝えている名称なのかなど分かりづらい部分もあったがこれも一つの読書の醍醐味であると私は思う。
印象に残ったシーン
第4章に私は特に惹きつけられた。
「自分にまっすぐ正直な主人公」と「自分に嘘をついてきた女性」
が対比された文章であった。
なぜ印象的に写ったかというと、お互いがあ互いを羨んでいたという部分である。
「自分にまっすぐな主人公」は自分の考えがはっきりした分、選択や許せないという行為がはっきりしている。そのため敵を作りやすいという部分もある。
逆に「自分に嘘をついてきた女性」は人当たりがよいため人に好かれる。しかし、人と接する時に生まれるストレスや嘘というものが自分に全て蓄積されるという反面を持っている。
この章は江戸時代という時代背景に関わらず、今となっても感じている人が多いのではないだろうか?これには心理的には「人に生きづらくされている」と感じている側と「自分の不甲斐なさで生きづらくなっている」と感じている側というものに置き換えられるように思う。
こう考えると求められるものは結局のところバランスなのではないかと思わされた。
考えさせられた事
第3章の「はじめましょ」にてとても考えさせられたことがあった。
ここに出てくる主人公は元彼女に対して、とてもひどい事を浴びせ別れた過去があった。
実際に本文を読むと多くの人がそう感じるのではないかと思う文章であった。
本人は詫びたいという気持ちがあったようだが、この気持ちは男の一方的な気持ちであり、女性がそれを必要としているかなど分からない。しかし、そこで一番意外だったのは女性が再会した時の反応である。
憎まれてもよいはずの主人公。子供の前だったからというのもあるのか普通に接しているのである。予想外であった。彼女の立場であれば相手の頬を平手でぶっても許される。そんな言葉を受けたにも関わらずである。
心の広さなのか、母親の強さなのか、時代背景なのか、もしくはあれだけ言われてまだ尚主人公を好いていたのか、思いは分からないが彼女の強さをとても感じた内容だった。
〜最後に〜
最終章の「灰の男」にて、今まで出てきた主人公や登場人物が多く出てきた。読んでいくうちに忘れていたが、この物語は心町にある、心淋し川沿いに住む人々の物語である。そんな中全体を通し、皆一様に何かに悩み、過去の傷や人には言いづらい多くの事柄を溜め込みながら、心淋し川沿いに住み、人生をやり直そうとしていた。
はじめにの見出しで紹介した言葉
「芥箱みてえな町ですがね生き直すには、悪くねえ土地でさ」
は帯に書かれていたと同時に最終章にて使われた言葉であった。
この言葉がこの作品と心町の雰囲気を全て表しているように思えた。
この言葉を見て皆多くの悩みはあるが、一様に不幸せには見えなかった。本帯に書いていた通り、心淋し川という川はドブ川なのである。
なぜドブ川という設定にしたのか?
それはここに住む人々が溜め込んできた後悔や憎悪、悲しみなど、多くの負の感情を吐き出してきたものが、このドブ川である「心淋し川」を構成したのではないかと思った。