推し、燃ゆ / 宇佐見りん
〜ひとこと〜
「一つの人生が終わりを迎えた感覚に陥った」
〜はじめに〜
読書熱が再燃した頃、何を読むかも決めず書店へ。そこで見つけたこの「推し、燃ゆ」というタイトルのこの作品。本屋大賞にノミネートされたとともに芥川賞受賞作品として大きなスペースに売り出されていた。そして驚く事に著者である”宇佐見りんさん”は21歳”とのことであった。
帯の裏には
21歳、驚異の才能、現る
と書かれこれからもとても注目の作家さんである。
これは読まなければと購入。早速読んでみた。
kindle
単行本
〜作品の概要〜
○著者:宇佐見りん
○出版社:河出書房新社
○発売日:2020年9月10日
○ページ数:141ページ
「推し、燃ゆ」というタイトルからとても現代的な作品なのだろうと思った。
実際にこのタイトルが主軸となって主人公の生き様が綴られている作品である。
〜大まかな概要〜
「推しが燃えた」
という言葉から始まるこの作品。主人公である女性の「推し」があることで炎上したのだ。
そんな彼女になぜ推しが生まれたのか?という話が序盤でされ、その後推しの引退までが綴られている。
そんな中の主人公の生き様や推しという存在が彼女に与えた影響などが一人称視点で綴られている作品である。
〜目次〜
本来この作品には目次はない。そのため、少し私が読んだ上でこのような場面に転換していったという事を下記にまとめる。
- 推しを推すきっかけ
- 推しのために頑張るバイト
- 家族内の主人公の立場
- 推しの人気投票
- 留年
- 祖母の死
- 家族会議
- 推しのラストライブ
それぞれの見出しに多くの見所がある。考えさせられる点、感情を動かされる点、共感する点など、小説にしては短いこの作品はとても濃い内容と作者の想いが詰め込まれているように感じた。
〜こんな人におすすめ!〜
- 自尊心が低い人
- 現代の事柄に興味がある人
なぜこのような人におすすめなのかというと、主人公にある。
ここに出てくる主人公はお世辞にも”優秀な人”という印象は持てない。彼女はとても弱々しく、社会を生きていくのもやっとというような印象がとても強かった。そのため、彼女を動かす糧となているのは「肯定してくれる言葉」なのだ。そのため、何か心に残る言葉が数多くあった。
そして現代的の社会においての事柄や問題点が主人公を通して書かれている。141ページという小説にしては少し短いこの作品の中に多くの現代が表現されている作品であった。
そんな弱々しい彼女がどんな言葉に動かされたのか?そして現代どんな事柄が起きており、21歳がどのような事を問題として捉えているのか?という部分を考えながら読むと面白いかもしれない。
〜感想〜
全体的な感想
「現代的な問題が物語の中にあり、それぞれについて考えさせられた作品であった」
内容自体も現代的でその上想像もしやすいため、読みやすくあっという間に読み終えてしまった。そんなあっという間の時間でも考えさせられる事柄が多々あり、内容の濃い小説である。
この作品のここがすごい!
なにより著者の表現力に圧倒された
この”宇佐見りんさん”の作品を、この「推し、燃ゆ」で初めて拝読したのだが、情景を表す言葉の巧みさに驚いた。読み始めてすぐにこの方の言葉の紡ぎ方は素敵だなという印象を受けた。多くの言葉の引き出しを持っており、「驚異の才能」と称される意味も理解できたように思える。
21歳の若き才能に注目は集まるのだろうが、もちろんこの年齢でここまでの文章を書けるというのは彼女がどれほどの小説を読み、愛し、言葉に興味があるのかという部分を表しているように思える。芥川賞受賞の際のインタビューでも
「私にとって小説が背骨であることは決して大袈裟なことではない」
とおっしゃっていたように、今まで読み積み重ねてきた言葉の引き出しなのだなと納得させられた。
印象に残った言葉
この作品でもっとも吸い寄せられた言葉は、
重さを背負って大人になることを、
辛いと思っていいのだと誰かに強く言われている気がする
という言葉であった。
この言葉は主人公が見にいった、ピーターパンの劇中、主人公の推しが発した言葉である。
学生時代、大人になることへの不安や、社会人になることへの不安を持った人も少なくはないと思う。この言葉には「許される」という意味合いが強い言葉であると思う。不安になってもいいんだよ!そんな言葉に感じた。
この「誰かに許された」という実感のある言葉はそう考えている人に刺さり、大袈裟なことを言えば命すら救うことさえあると思う。それだけ言葉の力には、心への影響力というものに、計り知れない効果をもたらすものである。
反対にいうと人を傷つけ、人を殺めてしまうことすら可能なものなのだ。
その人を救う言葉には、薬と同じ効果があるものだと思った。
考えさせられた事
多くの考えさせられたことがあったが、ここでは1つにフォーカスを当てようと思う。
「主人公は忘れ物が多く、学習が他の子より遅れ、病院にてある診断がなされた女の子なのだ」
作品内には病名の記載はなかったが、ぱっと思い浮かんだ病名は「ADHD」もしくは「発達障害」であった。現在の彼女の症状を見た時にこれが”病名”としてか”疑い”としてかは分からないが、現代のひとつの問題点としてあると思う。
結婚の晩婚化が進み、障がいを持って生まれてくる子どもたちというリスクが上がってきているという現代の現状。しかし、私が”考えさせられた事”というのはリスクが高まるから早く結婚しようねという問題ではなく、
ここにでてくる両親が、
「主人公の症状を理解せず、言い訳として彼女の言葉を受け取っている」という点にあった。
どんな病気や怪我の後遺症であれ、親が子に対する障害の受容というのはかなりハードルが高く、認めたくない事実であると思う。また認めた時というのが、諦めた時という感情に近しい物があるように感じる人もいるのではないだろうか?
私は理学療法士として医療に携わっていた事があるが、健康だった人、健康であると思っていた人こそ、本人や親族は受け入れ難い物があるのである。
それでもこの作品を読んでいてやはり、言い訳と終わらせずに彼女の気持ちを汲み取ってあげて欲しかったように思える。何より彼女が一番もどかしく、歯痒いのだ。
〜最後に〜
この作品はあらすじに記載した通り「推しの炎上〜引退」までが綴られた作品である。そのため、後半に行けば行くほど「不安」な気持ちが湧いて強くなってくる。そして最後のページの文章。私にはとても”悲しみ”という感情が現れた。
もしかしたら私が感じた”悲しみ”以外の感情が湧いてきた方もいるかもしれない。それがどのような解釈でそうなったのかは是非聞いてみたいところだ。
私がこの作品を一言で表した「ひとつの人生が終わりを迎えたような感覚に陥った」と思ったように、最後はなにか私の中で哀愁を感じたのだ。
是非一読して頂きたい作品である。