感想文

自身の凶暴性に気付かされた作品「こうふく あかの/西加奈子」を読んでの感想

こうふく あかの

 

単行本版

文庫本版

1円〜

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〜はじめに〜

図書館にて借りた1冊。真っ赤の表紙で「こうふく あかの」というタイトルに心温まる作品だと思っていた…

読み始めるとその想像は打ち砕かれた

この作品もっとも私が表に出したくない「怒り」という感情が湧き出てきた自分の凶暴性に少し落ち込んだがここまで作品内に感情を引きづり込まれるとは思わなかった。

油断していたのもあるとは思う。

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〜こんな人にオススメ〜

  • 激しい感情となる文章に心を委ねたい方
  • 刺激を求めている方

本来のこの作品の伝えたい意図している部分とこのオススメはあまりにもかけ離れているかもしれない。

正直な話、この作品をおすすめする対象が難しかった。作品が面白くないからではなく、あまりにも感情が引っ張られるからである。私よりも感情が引っ張られる人はかなり落ち込んだり、怒ったりなどの感情になるかもしれない。

そのような体験をしたいという方は是非この作品を読んで欲しい

〜おすすめ出来ない人〜

感受性豊かな人にはこの作品かなり心を揺さぶられるかもしれない。

どれだけ私の「怒り」という感情が表にでてきたのかというと、あるシーンを読んでいる際この「真っ赤な本を地面に叩きつけたい」という衝動に駆られたほどである。

自分の凶暴性に驚かされた。

また、これは男女の問題なため、男性も女性も心に重く響く話だ。特に女性が読む際は気をつけ方が良いかもしれない。それだけナイーブな話である。

だからこそ、この話で脳対体験をするのもありかもしれない。このような場面あなたがどのような感情になるのか、分かることだろう。

〜作品の概要〜

作品名:こうく あかの
著者:西加奈子
出版社:小学館
発売日:2008年3月27日
ページ数:178ページ
○読み終えた時間:2時間半

〜目次〜

この作品に目次のページはなく、あるのは場面転換ごとに見出しとして記載されている日付である。

  • 二〇〇七年八月
  •    二〇三九年二月
  • 二〇〇七年九月
  •    二〇三九年二月
  • 二〇〇七年一〇月
  •    二〇三九年二月
  • 二〇〇七年一一月
  • 二〇〇七年一二月
  •    二〇三九年三月
  • 二〇〇八年一月
  •    二〇三九年三月
  • 二〇〇八年二月
  •    二〇三九年四月
  • 二〇〇八年三月
  •    二〇三九年四月
  • 二〇〇八年四月
  •    二〇三九年四月
  • 二〇〇八年四月
  •    二〇三九年四月
  • 二〇〇八年五月
  •    二〇三九年五月

〜大まかな概要〜

ある日、妻に妊娠したと告げられた

彼は腰を抜かすほど驚いた。

彼ら夫婦は周囲の人が見てもとてもおしどり夫婦に見えていた。

そんな中3年間触れてもいなかった妻に子どもが出来たというのだ。さらに妻は「産みたい」と言う。

 

そして急に場面は転換し、謎に満ちたマスクマン、「アムンゼンスコット」のプロレスの試合が急激に映し出される。

このお話が交互に、見出しである日付ごとに場面は入れ替わり話は進んでゆく。

 〜感想〜

 この作品のここがすごい!

  • 人が出したくない感情をここまで引き出される作品は珍しい

嫉妬や憤怒、さらには傲慢など、さながら「カトリック協会の七つの罪源」というところの感情が引き出される。そんな作品だ。

特に私はそうであった。男女の恋愛において、なぜこれほどまで感情を高ぶらされるのだろうか。これは私だけなのだろうかと疑問にも思ったが、多くの人がこの主人公や妻の立場に立った時、悩み、苦しみ、怒りの感情に囚われるのではないかと思う。

私はこの本を地面に叩きつけたい衝動に駆られた。こんな感情にさせられるのも、脳内でこのストーリーを自身が体験できる。これが、読書のひとつの楽しみであり、利点であると思う。

 考えさせられた事

この作品、主人公の立場に立った時と主人公の妻側に立った時考えることが全く違う

先に伝えておくと、この夫婦はお互いのことに飽きた、嫌っているという関係ではない。それを踏まえ3年間妻に触れてこなかった妻に子供が出来たという主人公の立場に立つと、

なんとも許しがたく、なぜそうなったのかと問いただし、自分も相手も責め、途方に暮れる。そんな絶望や喪失感を感じさせられる。もちろん他人の子どもを育てるという部分にも大きな壁と拒絶したくなる気持ちが生まれるのは当然であると思う。

反対に妻側の立場に立った時、3年間夫に触れられもせず、現在夫は39歳、自身は34歳という年齢。そして夫以外の子どもを孕(みごも)った。それを考えると産みたいと思う女性側の立場も理解できてしまう。彼女にとっては自分のお腹に血を分ける子がいるのである。

そして2人はお互いのことを愛していた。セックスという行為はなかったがそれでも2人は相手のことが好きであった。

こう考えるととても難しい。何が難しいのか。自分だったらどのような選択をとるのかとても難しいのだ。

私は基本的に離婚したくないというスタンスと考えを持っている。だからこそ、こうはならないようにしたいというのが素直なところだが、脳内体験をするのであればそれでは意味がない。この主人公の立場に立たなければならない

そうすると私の選択は離婚という選択になるように思える。こうなってしまうと、主人公の夫側は自身の不甲斐なさと妻と子どもに対して平然といられる自信が、今現在の自分にはない。また、妻側の立場にたったとしても、夫といることで余程図太い神経を持ち合わせていなければ、罪悪感に苛(さいな)まれ、子どもが生まれてくるというのに祝福という雰囲気にはなれないのではないかと想像した。

だからこそ私はその選択になるのではないかと思った。

〜最後に〜

私が本を投げたくなったシーンというのが、こんな状態でお互いがお互いを必要としていたという部分である

なぜそのような想いがあるのにこうなってしまったのか。なぜ言えなかったのか。そこに私は「怒り」という感情が湧き上がった。

「愛するということ」を読んでこの作品に入ったため余計そのような感情になったのかもしれない。

前に記載した感想記事はこちら!60年以上読み継がれている『愛』の書「愛するということ/エーリッヒ・フロム」を読んでの感想

今の時代必要な愛の形は求め合う恋愛ではなく与え合う恋愛なのではないかと思う。自由な恋愛を多くの人ができる時代。相手の能力ではなく対象が重要な時代だからこそ、与え合うことが大事なのではないだろうか。私はそう思う。

この思いがあるからこそ、このような私の凶暴性が感情として表に湧き出てきたのだと思う。

こんな作品はいかがだろうか?