哲学・社会思想

『100分で名著 集中講義 旧約聖書 「一神教」の根源を見る/加藤隆』を読んでの感想

100分で名著 集中講義 旧約聖書 

「一神教」の根源を見る

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〜はじめに〜

最近本を読む事が増え、海外の翻訳作品を読むことも多くなった

そんな中多くの書籍に記載が見られる聖書の内容。これは知っておかないと海外の書籍は100%楽しめないなと思ったため、最近「聖書」にまつわる書籍を読んでいる

そして聖書にまつわる書籍を読み進めていくと面白い発見がある。日本では宗教に対して馴染みがない分、知らないことから宗教とは恐ろしいものという印象を持っている人も少なくはないと思う。

それは宗教の絡んだ争いがあるためであろう。これは人のネガティブ本能に残りやすいものであると思う。また私たちがその争いがなぜ行われているのかなどを知る知識量もないため、「宗教のせいで争いが起こっている」という事実だけが頭に残っているのであろう。

私自身がそうであったため、このような人も多いのではないだろうかと仮定したが、もし同じような人がいるならば一度宗教にまつわる書籍を読んでみると良いかもしれない。

イメージが変わる事であろう。

〜こんな人におすすめ〜

  •  海外の書籍を積極的に読んでいきたいなと思う人
  •  一神教にあまり良くない印象を持っている人
  •  聖書の文章を深く考察した書籍が読みたい人

まずは聖書を読みこの書籍を読むことをお勧めする。私はまだ読んでいないため、次に旧約聖書から読んでいこうと思っている。

この作品所々で、聖書から引用された言葉を深く考察されている。そしてその考察の中に良くない印象を払拭してくれる材料があるように思える。

少し学びだすと面白い分野だ。

〜作品の概要〜

作品名:100分で名著 集中講義 旧約聖書 「一神教」の根源を見る
著者:加藤隆
出版社:NHK
発売日:2016年1月25日
ページ数:192ページ

〜著者について〜

加藤 隆(かとう たかし、1957年2月 – )は、日本の聖書学者、千葉大学教授。神奈川県生まれ。東京都立日比谷高等学校卒。東京大学文学部仏文科卒。1983年ストラスブール大学プロテスタント神学部入学。フランス政府給費留学生。(聖書の言語であるヘブライ語と古代ギリシア語を習得していないということで、DEUGの一年生(学部の一年生)に入学)。修士論文、博士論文の指導教官は、エチエンヌ・トロクメ。1993年ストラスブール大学プロテスタント神学部博士課程修了。神学博士。1997年中村元賞受賞(下記 La pensée sociale de Luc-Actes, 1997 により)。1999年東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学比較文学比較文化博士課程入学、2003年同満期退学。1995年から、千葉大学文学部助教授。現在、千葉大学大学院人文科学研究院教授。聖書学・神学についての考察から発展して、比較文明論を行う。

引用:Wikipedia

〜目次〜

 はじめに

  •   第1章 こうして「神」が誕生した
  •   第2章 「創造神話」の矛盾
  •   第3章 人間は「罪」の状態にある
  •   第4章 なぜ神は「沈黙」したのか
  •   第5章 神の前での自己正当化
  •   第6章 「沈黙」は破られるのか

 〜感想〜

 この作品のここがすごい!

  •  神と人の関係はどうあるのかなどが、聖書の一文から深く考察されている

この書籍の1番の特徴は、聖書の文を引用し、その文から神と人がどのような関係にあるのか述べているところであろう。

この書籍を読んでいて思うことに、目次にもあるが「創造神話」の矛盾や人の行いの矛盾であろう。私にとってはその部分が最も頭に残っている部分である。

この書籍を読んでいると確かにそうだなと思わされる部分が多々ある。面白いと思わされる部分もそのようなところにあったのだろう。

 印象に残った言葉

神や神々については「祭り上げる」という態度で臨むのが、日本人の基本的な姿勢である

引用:本書9ページ

まずはこの日本にとっての宗教観であろう。日本にとっての神や神々との関連は「万物に神が宿っている。」という多神教的という印象であろう。しかし、宗教的な拘束や伝統に忠実に生きているというわけではないため、「無宗教的」と思われることも多々ある。

あくまで日本人は、神や神々の領域を大切にしており、人が神や神々を判断する事を畏(おそ)れ多いと思っている。そのためこの印象に残った言葉のように「祭り上げる」といった表現となった。とのことである。

この書籍を読んで一番良かったことは、自分のいる日本の宗教観を言語化された文章を読む事ができたことであろう。これがなければ、私は今後も日本の宗教観はどうなっているのかという部分を、言語化することは出来なかったであろう。

これが学べただけでもこの書籍を読んで良かった点だ。

「迫害者たちの人間的な判断」は、「神の判断」に一致していません。

引用:本書90ページ

これは「ヤーヴェ主義」による宗教的迫害の項で出てきた言葉である。

「ヤーヴェ」とはユダヤ教の唯一神である。このユダヤ教のヤーヴェを信仰するあまりに、「ヤーヴェ」だけを神とするという立場をとらない者たちを正しくない、または「悪」とみなし、迫害されて当然だという思考となっていたとのことであった。

ここの矛盾が最も納得させられた内容であった。

彼らは神を信仰するあまり、そのような行動をとっているが、本来その判断は神が行い、神が罰するはずなのである。しかし、この宗教的迫害は人が判断し、自分があたかも神のように勝手に殺そうとしているのだ。

これは、神の存在の否定となっている。

神がいて、それが許されないことなのであれば、神がその者に罰を与えていただろう。しかし、それを判断し迫害を行ったのは、人であるのだ。

この問題は「人が神についてどう判断しているか」というものであって、「神が人をどう判断しているか」など全く考えられていないということになっている。

これはとても納得のいく内容であった。
信仰が強いあまり、信仰しているはずの神を見失い、自身で神の存在を否定している行動をしているのだ。

このような思考なのかと、とても腑に落ちた言葉であった。

〜最後に〜

宗教・聖書について勉強し始めた2冊目の書籍であった。1冊目は聖書を読まなければとても内容が理解できないものであったため、

その点この書籍は聖書の文章を引用してきてくれているため、読んでいなくても内容自体は理解ができた。次は聖書自体を読もうと思っている。それが最も早いように思えてきたからだ。

この神という分野は神秘的で面白い部分も多い。少しずつ理解を深めていければよいと思う。