サラバ!
〜ひとこと〜
「ゆっくりと、深く、深く、私の意識はこの物語に沈み込んでいった」
文庫本版
上・中・下巻セット
〜著者の紹介〜
なぜ、最初にこの「著者の紹介」を一番最初に持ってきたのか。この著者紹介を知った上でこの作品は読んでいただきたいためだ!
西加奈子(にし かなこ、1977年5月7日)は、日本の小説家。
イラン・テヘラン生まれ。エジプト・カイロ、大阪府和泉市光明台育ち。和泉市立光明台中学校、大阪府立泉陽高等学校、関西大学法学部卒業。既婚。
ライターを経て、出版社への持ち込み原稿であった「あおい」で2004年にデビュー。(以下略)
引用:wikipedia
イランのテヘラン生まれ。エジプトのカイロと大阪育ち。という特殊に思えるこの出生や育った地。これと、関西大学の法学部を卒業している。その後ライターを経て小説家デビューをしている。
そして西加奈子さんの人物像だ。
大阪に住んでいた頃からひそかに小説を書いていては一人で悦に入っていたが、人に読ませたところ「技術はあるけど、感情がない」と言われ、「書きたくなるまで感情を溜めないとだめだ」と進められ半年ほど断筆(以下略)
引用:wikipedia
このような過去があるとの事であった。
これを踏まえた上でこの「サラバ!」の感想について見ていただきたい。
〜大雑把にどんな作品?〜
- 西加奈子さんが全てを出し切って書いたのではないかと思わされる作品!
- これを読み終えた後、次の作品に移るまで時間を要した作品!!
- 「信じるとは?」が体現された作品!!!
誰にオススメなどはなく、出来るだけ多くの人に読んで頂きたいと個人的に思っている作品だ。三部作というあまり読書をしない人にはハードルが高いかもしれない。それを踏まえたうえでも多くの人に読んで頂きたい。そう思っている。
〜作品の概要〜
○著者:西加奈子
○出版社:小学館
○発売日:2017年10月6日
○ページ数:(上)331ページ
(中)317ページ
(下)295ページ
○読み終えた時間:一冊4~5時間ほど
大まかな概要
○サラバ!(上)
「僕はこの世界に左足から登場した。」
という言葉で始まるこの作品。まさしくこの誕生した男の子こそが主人公である。
転勤族で優しい父親、真っ直ぐで自分の意思が強い母親、破天荒で問題児の姉との4人の家族の物語である。この物語は主人公の男の子の一人称視点で綴られ、上巻では彼の幼少期~学童期までが記されていた。
その主人公の学童期、父親の転勤で赴任先としてエジプトに行くこととなった家族。そこでの多くの出会いや経験を経て多くの変化が現れる。
○サラバ!(中)
上巻の続きとして、エジプトから日本へ帰国したところから話はスタートし、主人公が大学生を卒業し仕事えおフリーライターとして働き始めるまでの流れが綴られている。
そしてこの主人公の家庭にまた多くの問題が巻き起こる。日本へ帰ってきた事で家庭のそれぞれに大きな変化が訪れた。母は新たな愛に溺れ、姉はいじめに遭い、元父は何も言わず元今橋家へ金銭の援助を入れ続ける。そしてその様を傍観という立場で何も言わず見過ごす主人公。そんな家庭の雰囲気だ。
○サラバ!(下)
とても充実していた主人公。しかし、あることをきっかけに彼は疲弊し疲れ果ててしまう。そんな時、過去の友人と再開。その後海外に行っていた姉が放浪から帰国するとのこと。
大きな変化を経た姉を見て、驚く主人公。そしてそのあたりから彼には多くのダメージを受ける出来事が起こる。彼はどのような決意に至り、どのような人生の答えを出したのか。
感想
この作品のここがすごい!
- 著者の西加奈子さんと多くの点がリンクした主人公の生い立ち
- 西加奈子さんのこの作品に対する熱量!!
私はこの作品を読んでいて妙な違和感があった。
それは、
これってフィクションの話なのか?
という部分であった。
フィクションにしてはリアルすぎる時代背景。その時代に沿った事件の数々。そして主人公の年齢。多くの点でこの作品がフィクションなのかそうでないのか分からなくなっていた。
そこでこの作品の著者である”西加奈子さん”の生い立ちを調べて見た。彼女はこの作品の主人公と同じ「出生」「育った地」「「職歴」など多くの共通点を持ち合わせているのである。
もちろん全てがノンフィクションという訳ではない。著者の”西加奈子さん”は女性であり、本作にでてくる主人公は男性である。何が言いたいのかというと、少なくともこの作品には彼女のこれまでの生い立ちが反映されている。いわば本人がモデルとなっている作品なのだと知った。
それを決定的にしたのは、中巻を読んでいた際であった。フリーライターとして働いていた主人公の彼が小説家として活動している人と出会い、その友人の経歴を知り、「勝てない」と思った時のシーンである。急激に「小説家」というワードが出てきたため違和感に思い、このタイミングで”西加奈子さん”の事をwikipediaにて検索した。
そこで知ったのは”西加奈子さん”自身もライターとして活動した後に、小説家になっているという事であった。先ほど「勝てない」と思ったと書いたが、その前の小説家との出会いのシーンで、「読むもの」であった小説が、紙とペンさえあれば自分にも「書けるもの」として変化したことも綴られている。
そこからの私はフィクションであろうとぼんやり思っていたこの作品を、まるでドキュメンタリー作品を読んでいたのだという感覚に陥った。私はここから、さらに深く物語に沈みこんでゆくのであった。
”西加奈子さん”の熱量においては印象的なシーンにて紹介しよう。
印象に残ったシーン
この作品ほど著者の熱量を感じた作品は私にはなかった。
それを表している言葉がある。そしてその言葉は初めて小説を読んでいて笑わされた言葉であった。
主人公が大学に入り、理性という”たが”がはずれ、女遊びにふけっていた時の話が綴られていた時、
「いや、もう、遠回しに書くのはやめよう」
という言葉が急に綴られた。
この言葉はいわゆる「性」に関する言葉や行為を、この言葉が出てくるまではうまく綺麗に書いてくれていた。
しかし、この言葉を皮切りにとても直接的な(下品な)言葉を著者は放っていた。”西加奈子さん”がこの作品を書いていた際の気持ちがそのまま文章になったようなこの言葉に、私は少し笑い、そしてその熱量とこの作品への想いに圧倒されたシーンであった。
考えさせられた事
この作品の最も大きい主題に欠かせない言葉は「信じる」という言葉にあったのではないかと私は思う。そのため作品全体を通して多くの「宗教名」が書かれている。1つの「信じる(信仰)」という形に、宗教は密接に関わっており、欠かせないものである。
さらにこの「サラバ!」というタイトルにも「信じる」という言葉が大きく関わっているのだ。これはエジプトで暮らしていた際の親友との「魔法の言葉」であったためである。これは2人の信じていた言葉なのである。
そのためこの作品に私自身「何を信じるのか?」という事をとても考えさせられた。
私が宗教に入信しているという事実や感覚があれば、この「何を信じているのか?」という問いに何も考えず即答できたであろう。日本は古事記が起源とされており、その古事記は多神教であるため、多くのものに神様が宿っているという考えの国である。そのため信仰の対象はこの神様という感覚は薄い。
それもあり、私は宗教に入信しているという感覚が全くないのだ。主人公も同じであった。彼は彼なりの「信じる」ということに1つの結論に至っていた。私はどうであろう?と思うと、「私は私の信じたいものを勝手に信じている」といういかにも投げやりな考えが浮かんだ。そうすることで原因は自分にあるという思考に落ち着いた。
「私は私を信じている」という意見は、神様を「信じる・信仰」の対象としている人にはいかにも怒られそうな意見であるが、その宗教を「信仰し、お祈りする」と決めているのも結局のところはその人自身であるため、同じ答えであり、同じ思想なのだと思う。
全体的な感想
この作品に
なぜここまで大きく入り込んだのか?
なぜ感情を揺さぶられたのか?
それは主人公の生き方や考えが私にとてもリンクしたためだと思う。彼が良くも悪くも「風に靡かれる旗」のように、風や空気に逆らわず、身を任せ生きていた。そうすることによって彼は彼自身を守り、間違っていれば「風のせい」という盾を張っていたのである。そしてそれが責任も無く生きやすいということも理解していた。
しかし、その日々の生き方で残ったものは彼に何もなかった。ずっと周囲に影響され。右往左往し、また風の吹く方向に流されてしまうのである。
作品内の言葉を借りると彼には「芯」がなかったのである。
私の社会人1年目が思い起こされた。同じ言葉を私も職場の上司に言われた。私はその時結局、理解ができなかったように思う。いや、理解できなかったのではなく、無理だと思い匙を投げていたのかもしれない。
この「芯」のない生き方というのは、誰にも注目されず、厄介ごとに巻き込まれない、いわゆる集団にとって生きやすい生き方なのである。
もっと簡単に述べると、「楽な生き方」という言葉で表す事が出来るのではないだろうか?
この生き方は決断を極力避け、意見が食い違うことも責任もないそんな生き方だ。そこに発生するスキルは見て見ぬふりをするスキルとそれに耐えうる忍耐力のみであろう。
しかし、主人公にはこの生き方で痛い目を下巻にてみていた。私は少し同情した。彼の言い分はとても分かるからだ。きっと世間一般的に彼は「いい子」であった。いや、そうあろうと努力していた。演技をしていた。しかし、それは報われなかった。そこに私も少し落ち込んだ。そして生き方の難しさを知った。
「私も変化しなければ」そう思わされた。
最後に1つ印象に残った言葉がある。
「化け物」
という作品内の後半にとても多くでてくる言葉だ。私はこの「化け物」と表現・記載されている部分を「言葉」に変換し読んでいた。
主人公の彼が信じる対象、西加奈子さんの信じる対象は「言葉」にあるのではないかと思った。
最後に
私の読書史上最大に物語へ入り込んだ作品であった。
読んでいる最中の私の目は見開いていた。瞬きする事を忘れ、言葉の繋がりを上から下、上から下と目で追っていた。
そのため、読みやめないといけないタイミングやキリの良いところで私は深く溜息をついていた事を覚えている。それだけ魅力的な作品であった。
この作品はできるだけ多くの人に読んで頂きたいそんな作品である。