青くて痛くて脆い
〜はじめに〜
住野よるさんの作品。
「君の膵臓を食べたい」「また同じ夢を見ていた」に続き、読むのはこの作品で三作品目となった。
この方の作品には何か寂しさや悲しさ、哀愁と言った感情が感じられるように思える。
しかしそう感じながらも、作品を読んだ人が落ち込んだり、マイナスな印象に引っ張られない程度に、とても繊細に言葉が綴られているように思う。
〜感想〜
ここ最近読んだ一番心を持っていかれたかもしれない。
読み終えた後、タイトルを再び見返してこれ以上のタイトルは無いと思わされた。
「青くて痛くて脆い」のだ。ここまでタイトルと作品の内容が納得として消化された作品は初めてだったかもしれない。
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たった2人が主となる物語なのだ。その2人の青春が「青くて痛くて脆い」。
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この本を読んでいると、主人公が悪く映ってしまう人が多いのではないだろうか?
読みながらそう思えた。
しかし改めて考えると何かとても難しく感じた。
何故主人公が悪く映ったのか?
それは個人的な感情が大きく前に出てしまっているからだろうと感じた。
これで動いてしまうとどうしても自己中心的に捉えられやすくなっしまうと考える。
実際に相手がどうなるのかというのも考えていなかった点もそう映った点であろう。
結局のところお互いがお互いを見失ってしまったように思えた。
もっとはやく話し合う事が出来たらなと私もこの作品を拝読中に感じた事だ。
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読んでいて主人公目線と相手目線ではまた感覚が変わるように思える。
お互い出来ることはあったはずなのだ。
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私が考え続けてきたことの中で、とてもしっくりときた言葉がある。
それは、
「人は人を間に合わせに使う。誰しもが、誰かを必要な何かとして間に合わせに使う。」
という言葉だ
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どんなに仲の良い友人であっても、やはりみな誰しもがその人に何かを求めているのだ。
何故仲が良くなるのか?それは必要としている物を提供しあえるからだと思う。
友達と言ってもそれは無償の上に成り立っているものではないのだ。
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一度友人に「友達」についてこの意見を伝えた時に
「そんな事思ってるの?最低w」
と冗談まじりに言われた事がある。
何も発展のない会話であったが、その言葉があったからこそ今まで考え込んできた事なのかもしれない。
今回「間に合わせ」という言葉を読んで何かすっきりとした気持ちとなった。
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みな間に合わせとして人を使っているのだ。
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〜最後に〜
この作品。是非一度読んで頂きたい!
そして読んだ方と色々と作品について言葉を交わしたいと思った作品でした。
読んだ方がいらしたらこの作品のコメント頂けると嬉しいです!
みなさんがどんな感性を持ってこの本を読むのかとても気になりました。